中澤先生は、皆さんにより届くメッセージをとお考えになり、2パターンご用意くださいました。アトリエサイドで選ぶようにと言われましたが、甲乙つけがたく、両方掲載させていただきました。
・バージョン1(緩いタイプのコメント)
・バージョン2(シリアスなタイプのコメント)
みなさんこんにちは。講師の中澤です。
長い自粛生活が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
外出できないことやアトリエに行けないことなどによりストレスがたまっている方、不安を抱えている方様々かと思います。私自身、外での仕事が非常に制限されているため極端に外出の機会が少なくなりました。
今回はそんな自粛生活のおり、近況や自宅での絵の描き方などについていくつかお話しをしたいと思います。単に近況を普通に話しても、あまり楽しめないかと思いましたので(楽しむことが目的の配信なのかわからないのですが)現在の状況を考慮して、勝手にインタヴュー形式でお伝えしたいと思います。
では、以下より。
◇まず、自身の制作について 近況についてお聞かせください。最近何か変わったことはありましたか?
中澤:去年の年末から最近にかけて、計4回財布を拾いました。
◇本当にその財布は拾ったものなのでしょうか?
中澤:本当に拾ったものです。
◇その財布はその後どうされましたか?
中澤:警察に届けました。
◇警察からはなにか言われましたか?
中澤:本当に拾ったものなのかと、3回目以降から聞かれるようになりました。
◇現在自宅で過ごす時間が長く続いていると思いますが、外出できないことに対する不安やストレスはありますか?
中澤:昨今『ステイホーム』が声高に叫ばれておりますので、外出することのほうが自粛警官に襲われる不安を感じてしまいます。
◇ご自宅ではどのように過ごされていますか?
中澤:毎日ゆっくり料理を作ったり、のびのびと絵を描いたり、一時期雑誌などで流行った『スローライフ』な生活をまさに実体験している感じです。
◇ほかに生活に変化はありましたか?
中澤:元々あまり遅くまでは起きていない生活をしていましたが、さらに寝る時間が早くなりました。
◇現在何時くらいに就寝しているのですか?
中澤:夜8時30分過ぎには床に就きます。
◇朝は何時に起きるのですか?
中澤:午前3時などに目がさめて、外を見るとなんだか世界の深淵を見ているような気分になります。漁師とアナウンサーは何十年も世界の深淵を見てから出社する職業なのかと思いました。
◇制作のモチベーションは現在どのように保っていますか?
中澤:基本的に絵を描くことが仕事なので、いままでとほぼ変わらない状態で続けています。何も描かないと、絵を描かない人が絵を描く人に絵を教えるという、パソコンを使えない人がサイバーセキュリティ大臣になるようなパラドクスが起こるので、そうならないように気をつけています。
◇アトリエの皆さんに対して何かございますか?
中澤:色々大変な時期ですが、若い方はこれを機に、現在の状況を『プレ定年退職』と捉えて今から定年退職後の生活をシュミレートしてみてはいかがでしょうか?どうです?会社があることのありがたみが分かった方、伴侶がいることに苦痛を感じ始めた方、体重が増えた方、様々だと思います。きっとこれが60代になってから訪れていたら大変でしょう。それが今、この時期に事前に体験できたということはある意味良かったと思います。来たるべき『本定年退職』に向けて、今の時期は大学受験のように、老後の傾向と対策を練るのが有意義で良い過ごし方かと思います。
◇すでに定年を迎えている方に対しては何かありますか?
中澤:『ステイホーム』
◇今日はありがとうございました。
中澤:ありがとうございました。
ーアトリエの皆さんへー
初めアトリエのスタッフから生徒のみなさんに向けたコメントを、と求められたのですが、このような時期のためあまりふざけた文章を書くのはと思い、当初は真っ当な文章を書いていました。
個人的にはどちらを掲載しても良かったのですが、おそらく他の先生方が真面目でコンプライアンスにもしっかり配慮した文章を寄稿してくださっていると思ったので、私はこのような方向性で話を進めました。
自宅での絵の描き方のアドバイスも、描きたければ描けばよくて、描きたくなければ無理して描く必要はないと思います。私自身自宅にいるときはすべての時間を絵に費やしているわけではありません。絵を描くことはもちろん生活の一部ではありますが、必ずしもそれがすべてではありません。この点に関しては作家によって考え方が異なると思いますが、少なくとも絵を描くことだけにすべての時間を投下することが、魅力的な作品につながるとはあまり思っていません。
今の時期は社会も疲弊しており、世の中のストレスを一気に圧縮したような雰囲気を感じますが、私個人としては非常に穏やかで過ごしやすい日々を毎日送っています。このような生活になって思ったことは、定年がきても(定年というものが作家にあるとしたら)わりと楽しく過ごせそうだな、ということでした。
最後までタラタラと全くためにならない話をしてしまいましたが、無事アトリエでみなさんに再会できる日を楽しみにしています。(解雇とかされてないよね…私?)
2020年 5月16日
中澤隼人 世界の深淵の片隅から。
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『ファインアートとデザイン』
ファインアートとデザインの違いは何でしょうか?
基本的にファインアートは作者である個人の思いが作品という形で昇華されることに対して、デザインは常につくられた物の先に「消費者」が設定されています。例えば抽象絵画やいびつな形の陶器であれば、余白についたシミや意図せずゆがんでしまった形も、『味がある』として受け入れられることもあると思いますが、デザイナーによってデザインされた同一商品のなかにそのようなものがあればそれらはまず『味がある』ではなく『不良品』として見なされてしまいます。誤解を恐れずに言えば、単体としてのファインアートが許容できる範囲に対してデザインにはそのような厳しさ、商品としての完成度の高さが常に求められます。都心の駅の看板やメディア媒体を通じて CM が流せるほどの大企業の商品であればそこにかかるコストは個人の作品制作の比ではないでしょう。『個人の作品 < デザイン 』ということを言いたいわけではないのですが、デザインにはそれだけの背景がある以上、クリアすべき課題のハードルが非常に高く、数も多いということす。
またデザインとは単に商品の見た目を整えることだけではありません。お店の雰囲気からスタッフの制服、言葉遣い、広告の出し方から購買層の設定まで、すべてを含めてデザインになります。けして商品そのものだけで判断されるのではなく(最終的に手にするものが商品であっても)、そこに行き着くまでの過程に多大な労力と時間を費やして総合的に商品としての価値を高めています。
絵画制作にこれを当てはめると、最終的に作品を見る鑑賞者は絵の表面をみて絵の良し悪しや好みを判断します。しかしその表面のあり方は単純なうまい、下手で判断されるべきものではありません。表面的に見えているものの中にどれだけ豊かな作者の思想が含まれているかがデザインでいう商品に行き着くまでの過程と通じると思います。例えば作品制作を式にして表すと、以下の様に表せます。
y=ax
y(出力=作品)、a(入力=アウトプットする技術)、x(作者の内面=インプット)
ここでいう a に当たる部分(アウトプット、いわゆるデッサン力や描写力、構成力など)は予備校などに通っている人や美大にいくような人はすでに高い技術を持っています。この技術に関しては身につける方法も明確に確立されているため、時間さえかければ美大を目指さなくても誰でも身につけられます。対して x に当たる部分(作者の作品に対する思いや作者自身の人間性)は、高め方に明確な方法がなく人それぞれです。この x にあたる部分が作品制作では非常に重要でありこの部分が作品としての質に大きく関わります。デザインの場合は y=ax の x にあたる部分の中にさらに(作者の内面×『消費者のニーズ』 )が加わることになります。a の部分がなければどんなにすぐれた人間性や芸術感を持っていても伝える技術がない以上人にその良さは伝わりません。しかし a の部分ばかりに特化した作品は表面的な部分の凄味があってもその奥に作品としての深みがありません。技術的に秀でた美術予備校の生徒に多いのは、a の部分が優れていることに対して x にあたる発想力、想像力、インプットされているもの、が少ないということです。
絵を描かない人たちからすると、絵はなんとなくそのひとの感性や個性で成り立っていると思われがちですが、たいていの作品はその良さの原因を言葉で説明できます。そしてその良さの原因は作者も鑑賞者も言葉で説明できるべきだと思います。それは絵に限らずデザインも同じであり、むしろデザインの方が消費者をはじめから意識している以上その意図は汲み取りやすいと思います。 現在のような自粛期間のなかでは美術館は軒並み休館していますが、日常生活の中ではあらゆる所でデザインを目にする機会があります。
今回スタッフの方から頂いた話のテーマは「生徒さんがもし自宅でできる絵のアドバイスがあれば何か」というものでした。私なりに考えた結果、やはり絵は絵を描く人の内面の豊かさに大きく起因するということです。だからこそただ絵を描くだけではなく、その前段階のxにあたる部分に多くの時間をかけ、それを最大限に発揮する方法(aにあたるアプローチの仕方)をファインアート以外の部分からも学んだ方が良いのではないかと考えています。
デザインとファインアートは最終的なゴールが異なるので単純に比較することはできないと思いますが、デザインが商業ベースである以上消費者に届くための仕組みが明確に設定されています。その仕組みは非常に洗練され、なにより届かせることを目的にしている以上解釈しやすいはずです。私自身街で気に入った広告やコピーがあればすべて写真に収めその構造を分析します。それは目に触れる表面的なデザインの部分を見るためだけではなく、その内面的なデザインの意図やそれに合わせたデザインのアプローチの仕方を汲み取るために行います。
今回は作品制作についてのお話しというテーマでしたが、作品制作はアトリエでも自宅でも行えるため、なるべくアトリエでは時間をかけないと話せない様な話をお伝えしたいと思いました。今後このような話をより掘り下げて、具体的な例などを使いながら皆さんにお伝えする機会も考えてみたいと思っています。
先の定まらない現在ではありますが、一日も早い状況の収束と、皆様とのアトリエでの再会を何よりも願っています。
中澤 隼人